かつての大日本帝国海軍の戦艦『陸奥』は世界のビッグ7の1隻に数えられていましたが、沈没する前日に女の幽霊が目撃されたという話があるんですよ(ΦωΦ)フフフ・・
また陸奥の沈没を国民が知らされたのは戦後のことなのですが、なぜ陸奥は爆沈し、その前日に幽霊が目撃されたのか!?
その辺りの概要をさっそく見ていくとしましょう...
陸奥沈没が国民に伝えられなかった理由
1926年改装後の陸奥
引用:Wikipedia
昭和18年(1943年)6月8日午前12時10分頃、山口県岩国市の桂島近くに停泊していた陸奥は、突如三番砲塔付近から煙を上げて爆発し、そのまま真っ二つに折れて、転覆しながら沈没してしまいます(⊙_⊙')
これによって乗員1474名のうち1121名が死○し、その中の124名は10代の予科練生で、戦艦実習のために1時間前に乗船したばかりでした。
これだけの大惨事なので、本来であれば大ニュースになるはずですが、同年4月18日に山本五十六司令長官が戦○し、5月29日にはアッツ島で日本軍初の玉砕があったことから、国民の士気が下がるとの判断から知らされなかったのです。
(陸奥の沈没事件は極秘とされ日本海軍は乗組員の家族に給料を払い続けることによって生存を装い、さらに生存者は口封じのために最前線へと送られたため、国民は戦後に全てを知ることになった)
陸奥が沈没した原因は?
戦艦陸奥
引用:Wikipedia
当初は敵の潜水艦による雷撃説や陸奥に搭載されていた主砲弾の自然発火説が囁かれていましたが!?
調査によって
人為的に放火された可能性がある
との判断が下ります(*´Д`*)
そこで
- 乗務員の火遊び説
- スパイによる爆破工作説
- イジメに耐えかねた乗組員による放火説
- 陸奥内で多発していた窃盗事件の犯人による放火説
などが検証されますが、決定的な証拠は出なかったんです。
謎の沈没前夜に目撃された女幽霊
陸奥記念館の入り口に置かれる主錨
引用:Wikipedia
陸奥の沈没もですが、その前日に目撃された女の幽霊に関しても謎めいているんですよ(⊙_⊙')
沈没前日の深夜、ある乗組員が長い髪を振り乱して踊り狂う女を目撃したため『幽霊ではないか?』と怖くなり、上司を連れて再び戻るも、既に女の姿はなかった...
上司は乗組員を叱りつけた後、その場を去ろうとしたら、突如女の高笑いが聞こえたため、振り返ってみると、第三砲塔の上に
女が立っていた
そして乗組員が報告した通り、女は長い髪を振り乱して踊っており、さらには耳まで裂けた口を開けて笑っていたというんです。
翌朝、2人は謎の高熱を出して病院へと搬送された...
というのが女幽霊の目撃談ですが、彼らは発熱して病院送りになったことで、事故に巻き込まれずに済んだため、ある意味幽霊によって助けられたと言えるのかもしれません(ΦωΦ)フフフ・・
陸奥以外の戦艦でも幽霊が目撃されていた!?
陸奥記念館内部
引用:Wikipedia
実は陸奥以前にも、停泊中の艦船で火災や沈没が発生した事故がいくつもあり、その中の何件かは陸奥同様に『女の幽霊』らしきモノが目撃されていたようです(*´Д`*)
幽霊戦艦と呼ばれたドイツの『シャルンホルスト』
引用:Wikipedia
ちなみにですがドイツの戦艦『シャルンホルスト』はもはや呪われているとしか思えない経歴を持つことから『幽霊戦艦』と呼ばれていました。
戦後になって、陸奥の引き揚げ作業が進められ、乗組員の遺○、遺品、主砲など...
艦隊のおよそ75%が引き揚げられましたが、山口県周防大島町の『陸奥記念館』では、凄惨な事件の資料を今に伝えているので、機会があればぜひ足を運んでみてください_φ( ̄ー ̄ )