大正時代に制作された日本初のホラー映画『狂った一頁(いちぺいじ)』は昭和以前に制作されたとは思えない映像とオカルト色が入り混じった実験的映画ですが、制作から50年後の1970年代には世界でも絶賛されることになります(ΦωΦ)フフフ・・
そこで今回は『ジャパニーズホラーの原点とも言えるこの作品がどのようにして作られたのか?』にフォーカスして紹介しちゃいます💪🤩
日本初のアヴァンギャルド映画
狂った一貢のワンシーン
引用:YouTube
この狂った一頁は大正15年(1926年)に制作・公開された衣笠貞之助監督の映画で、新派俳優として舞台から映画で活躍した井上正男が老人役で主演を務め、脚本には、後に日本人初のノーベル文学賞を受賞する川端康成が協力しています(⊙_⊙')
衣笠貞之助監督
引用:Wikipedia
無字幕のサイレント映画で
- 激しいフラッシュバック
- 多重露光
- 明暗コントラスト
- オーバーラップ
などの技法を駆使して斬新な映像表現を試みていることから、日本初のアヴァンギャルド映画と言われています。
カリガリ博士公開時のポスター
引用:Wikipedia
また狂った一頁は革新的表現方法で世界中で話題になったドイツ映画『カリガリ博士(1919年公開)』に多大な影響を受けているものの、日本人的な家族観を入れ込むなどオリジナリティが散りばめられています。
狂った一頁のストーリー
狂った一貢のワンシーン
引用:YouTube
狂った一貢のストーリーは
元船員の老いた男が、自分の虐○のせいで精神異常者となってしまった妻を見守るために、彼女が入院している精神病院に小間使いとして働く。
ある日、男の娘が母に結婚報告するために病院に訪れると、父親がそこで小間使いをしていることを知り、娘は自分の母が精神異常者であることを恋人に知られないかを心配する。
娘が結婚することを知った男は縁日の福引で一等賞のタンスを引き当てる(という幻想を見る)
それから男は、妻を病院から逃そうとするものの、錯乱した男は病院の医師や狂人を殺○幻想や狂人たちの顔に能面を被せていく幻想を次々に見る...
というものになっています(⊙_⊙')
日本での興行は失敗に終わった!?
狂った一貢のワンシーン
引用:YouTube
また本作は自主制作映画となっており、衣笠監督が自ら封切り交渉するためにフィルムを携えて上京するものの、作品があまりにも難解だったことから、なかなか配給先が決まらなかったのです。
(同年7月、東京朝日新聞社主催で特別上映の開催にこぎつけ、完成から4ヶ月後の9月に洋画専門館の武蔵野での上映が決まった)
狂った一貢は一部で好評を得たことから、東京館や大阪、京都の松竹座などでも公開されることになり、全体で7,500円の配給収入を得ますが、興行的には1万円を超える赤字で大失敗となっています。
これにより、この映画のために結成された新感覚波映画連盟は、第2段を制作することなく解散することになったのです。
世界では高く評価された!
狂った一貢のワンシーン
引用:YouTube
実は狂った一貢のフィルムは昭和25年に松竹下鴨撮影所のフィルム倉庫で発生した火災で焼失したと思われていたため、長い間、現存しない作品と思われていたのですが!?
それから21年後の昭和46年に衣笠監督の自宅の蔵から偶然ネガフィルムが発見されるんです(ΦωΦ)フフフ・・
そして、このフィルムを監督自らがニュー・サウンド版(59分に短縮)に再編集し、同年4月27日に岩波ホールで特別試写会が行われ、同年10月〜11月には、同ホールで49年ぶりに一般上映されたのです。
さらに!!!
昭和47年には海外でも上映され、ニューヨーク・タイムズ紙が
タイムアウト誌が
と評しており、多くの海外メディアが絶賛したのです。
ちなみにですが、狂った一貢はYoutubeで全編を観ることができるので、興味のある方はぜひチェックしてみてくださいな_φ( ̄ー ̄ )